声のパブリシティ権に一般論で触れ、削除請求は投稿が消えていたとして棄却:東京地裁令和8年9月30日判決は何を判断し、何を判断しなかったか
(東京地方裁判所 令和8年9月30日判決、令和7年(ワ)第70635号、投稿記事削除請求事件、請求棄却)
法律相談・法的助言ではありません。判決の全文は裁判所ウェブサイトにあります。本稿は、判決文から言えることと、先例などの資料を並べて読んだ整理とを、分けて書いています。
結論を先に
声優が、動画投稿サイトの運営者に対し、自分の声に似たナレーションを使った投稿188件の削除を求めた。東京地裁は、請求を棄却した。理由は、削除を求められた投稿のデータが、口頭弁論終結時までに、運営者のサーバから既に削除されていたことである。
判決は、その前置きとして、パブリシティ権について、「人の声は、人の肖像と同様に個人の人格の象徴であるということができる」と述べ、声を無断で使用する行為がパブリシティ権の侵害に当たる場合を、一般論の形で示した。ただし、この一般論を本件の音声に当てはめてはいない。本件の音声が原告の声に似ているか、パブリシティ権の侵害があったか、運営者に削除義務があるか、不正競争防止法の請求が成り立つかは、いずれも判断していない。判決は、「その余の争点についてこれ以上の判断はしない」と結んでいる。
何が起きたか(事案の経過)
判決が認定した事実(前提事実と、裁判所の判断の中の認定)
- 原告は、声優、俳優、ナレーターとして活動している。被告は、動画投稿サイトを運営する外国法人である。
- サイト上の一つのアカウントの投稿者(氏名不詳)は、令和6年7月から令和7年9月までの間に、188件の記事を投稿した。いずれも、映像・字幕と、都市伝説や心霊現象などの雑学のナレーションを組み合わせた動画である。
- このアカウントは、令和7年11月の時点で21万人以上のフォロワーを持ち、各記事は数千から数万の「いいね」を得ていた。
- アカウントのトップページからリンクされた外部サイトには、ナレーションの音声は、原告の声を無断で使ってAIに学習させたものではなく、声真似が上手い友人の声をAIに学習させたデータを使ったものだ、という趣旨の記載があった。各記事のコメント欄には、原告の声に似ているとする投稿が見られた。
- 投稿者は、令和8年5月29日にアカウントを削除した。30日以内に復旧の申請がなかったため、各記事を含むアカウントのデータは、同年6月28日の経過をもって、被告のサーバから削除された(裁判所の認定)。
- 口頭弁論は、令和8年7月3日に終結した。
判決文の中で、原告の主張としてだけ出てくる経過
- 原告は、令和7年8月の発信者情報開示命令と、同年9月に原告が被告にした侵害情報送信防止措置の請求によって、被告は記事の違法性を認識し得た、と主張した。判決は、これらを事実として認定してはいない。
資料から分かる、その前後の経過(法務省の公表資料、報道による。判決文には書かれていない)
- 提訴は、令和7年11月と報じられている。
- 法務省の「肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会」が、令和8年4月から7月まで5回開かれ、同年8月付けで、取りまとめ報告書(副題「生成AIによるパブリシティ権侵害等に関する解釈指針」)が公表された。判決は、この報告書に触れていない。
- 東京地裁が、令和8年9月30日に判決を言い渡した。
争点:何が争われたか
判決が挙げた争点は、次の3つである。
- 争点1:不正競争防止法に基づく削除請求ができるか。
- 争点2:パブリシティ権に基づく削除請求ができるか。
- 争点3:削除を求められた記事は、既に削除されたか。
原告の主張の要点(判決の記載による)
- 原告の声質は、声優としての原告の営業表示で、著名、少なくとも周知である。ナレーションの音声は、抑揚や低音の響きが共通し、原告の声に類似する。投稿者は再生に応じて収益を得ており、投稿は営業に当たる。コメント欄から、原告の声と誤認されており、混同のおそれがある。よって、不正競争防止法2条1項1号または2号の不正競争に当たる。
- 被告は、侵害情報送信防止措置の請求に真摯に対応しなかったこと、また、配信という不正競争の枢要な行為をし、収益の支払いで投稿を動機付けていることから、同法3条の「侵害する者」に当たる。
- 原告の声は顧客吸引力を持つ。動画は、原告の声を、独立して鑑賞の対象となる商品として、商品の差別化を図る目的で、また商品の広告として使っており、専ら顧客吸引力の利用を目的とする。削除を求める原告の利益は、記事を閲覧に供し続ける利益に優越するから、運営者は削除義務を負う。
被告の主張の要点(判決の記載による)
- ナレーションの音声は、普遍的な男性の声で、原告の声と類似するとは直ちにはいえない。外部サイトの記載は、原告の声を出力したものでないことを明示しているから、混同のおそれはない。被告は投稿の場を提供しているだけで、「侵害する者」に当たらない。
- 音声は、原告以外の第三者の声をAIで加工したもので、原告の声を使用したとはいえない。動画は音声を独立して鑑賞の対象とするものではなく、音声で再生数が伸びたともいえない。
- 投稿者の表現の自由、閲覧の範囲、原告に損害が生じていないことなどから、記事を閲覧に供し続ける利益のほうが優越する。
- 記事のデータは、令和8年6月28日の経過をもって、被告のサーバから削除された。
裁判所の判断:削除済みであることを理由に棄却した
1 訴えの利益について
被告は、記事は削除済みだから訴えの利益を欠く、と主張した。判決は、削除請求の対象が存在するかどうかは、実体上の削除請求権があるかどうかの問題であり、「訴えの利益の有無を左右するものではない」とした。そのため、訴えを却下せず、請求の当否の問題として判断している。
2 パブリシティ権についての一般論
判決は、争点2に関して、次のように述べた。人の声は、人の肖像と同様に個人の人格の象徴であるということができる。そのうえで、「例えば実演家の声等」を無断で使用する行為は、その声が商品の販売等を促進する顧客吸引力を持つといえる場合で、その声を使用する行為が専らその声の持つ顧客吸引力の利用を目的とするものといえるときは、「パブリシティ権の侵害に当たると解するのが相当であるといえる」とした。
続けて判決は、「もっとも」として、本件では記事が既に削除されたか(争点3)が問題となっているので、まずこの点を検討する、とした。判決文の上では、この一般論のあとに、本件の音声や動画についての当てはめは置かれていない。
3 記事は既に削除されたか
- 判決は、投稿者が令和8年5月29日にアカウントを削除し、30日以内に復旧申請をしなかったので、記事を含むアカウントのデータは、同年6月28日の経過をもって被告のサーバから削除された、と認定した(証拠は被告側の書証)。
- 原告は、公表されているデータの保持期間と実際の保持期間が違うことはよくあるとして、ユーザーが削除したデータが長く残っていたという報道等を示した。判決は、削除の認定は、被告の内部規則と、被告が公表しているサイトの利用ポリシーとも整合し、原告の示した報道等は本件のアカウントの削除手続に直接関連するものではない、として退けた。
4 結論
判決は、「仮に被告に削除義務が生じ得るとしても」、口頭弁論終結時までに対象の記事が削除されていたのだから、被告が更に削除義務を負うものではないとして、請求をいずれも棄却した。そして、「その余の争点についてこれ以上の判断はしない」とした。不正競争防止法に基づく請求(争点1)については、判断を示していない。
判断したこと、判断していないこと
- 判断したこと:削除対象の存否は、訴えの利益ではなく、削除請求権の存否の問題であること。記事のデータが令和8年6月28日の経過をもって削除されたこと。そのため、削除請求に理由がないこと。
- 一般論として述べたこと:声がパブリシティ権の侵害の対象となり得る場合の考え方。
- 判断していないこと:本件の音声が原告の声に類似するか。原告の声に顧客吸引力があるか。動画が専ら顧客吸引力の利用を目的とするか。運営者が削除義務を負うか。原告の声質が不正競争防止法上の営業表示に当たるか。運営者が同法3条の「侵害する者」に当たるか。
先例や、公的な資料と比べると
以下は、判決文と、公開されている先例・公的資料を並べて読んだときに見える点である。判断の当否ではなく、文章を突き合わせた整理として書いている。
ピンク・レディー事件(最高裁第一小法廷 平成24年2月2日判決、民集66巻2号89頁)との言葉の重なり
この最高裁判決は、人の氏名、肖像等は「個人の人格の象徴であるから」、人格権に由来するものとして、みだりに利用されない権利がある、とした。そして、肖像等を無断で使用する行為は、①肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し、②商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し、③肖像等を商品等の広告として使用するなど、「専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に」、パブリシティ権を侵害するものとして、不法行為法上違法となる、と述べている。
本判決の、声が「個人の人格の象徴」であること、商品の販売等を促進する顧客吸引力、「専ら」顧客吸引力の利用を目的とする、という組み立ては、この最高裁判決の言葉と重なる。ただし、本判決は、この最高裁判決を含め、先例を一つも引用していない。並べて読むと、次の違いもある。
- 最高裁判決が対象として明示したのは「氏名、肖像等」で、声には触れていない。本判決は、対象を声とし、「人の肖像と同様に」という言い方で肖像と並べている。
- 最高裁判決は、①〜③の3つの例を挙げている。本判決の一般論には、この3つの例は出てこない(原告の主張の中には、同じ3つの言い方が出てくる)。
- 最高裁判決は、肖像等を時事報道、論説、創作物等に使用されることを、正当な表現行為等として受忍すべき場合もある、という理由を置いたうえで基準を示している。本判決の一般論の文には、この部分に当たる記述はない。
- 最高裁判決は、損害賠償の事案で「不法行為法上違法となる」とした。本判決は、削除請求の事案で「パブリシティ権の侵害に当たる」という形で述べている。削除(差止め)が認められるための要件については、本判決は述べていない。
法務省の検討会の取りまとめ報告書(令和8年8月)との関係
- 報告書は、ピンク・レディー事件の判決文には、氏名と肖像以外に何が「肖像等」に含まれるかは示されていない、としたうえで、人の声は、人物識別情報であるとともに個人の人格の象徴となるもので、最高裁判決の「氏名、肖像等」の「等」に含まれるものとして、パブリシティ権による保護の対象となる、と整理している。本判決の「人の肖像と同様に個人の人格の象徴」という言い方は、この整理と同じ方向を向いている。判決は、報告書に触れていない。
- 報告書は、インターネット上に投稿された、パブリシティ権を侵害するコンテンツの削除請求は、それを管理運営するプラットフォーム事業者に対してもすることができると考えられる、としている。本判決は、運営者の削除義務について、「仮に被告に削除義務が生じ得るとしても」と仮定の形で述べるにとどめ、判断していない。
残された問い
- 声の類似は、どう判断されるのか。原告は音声の比較分析を証拠に出し、被告は普遍的な男性の声だと主張した。判決は、この点を判断していない。
- 本人の声そのものではなく、他人の声をAIで加工したとされる音声の場合に、本人の「声を使用する行為」に当たるのか。被告はこの点を争ったが、判決は判断していない。
- 雑学の動画のナレーションとして声に似た音声を使うことが、「専ら」顧客吸引力の利用を目的とするといえるのか。原告と被告の主張は分かれたが、判決は判断していない。
- 動画投稿サイトの運営者は、どのような場合に、パブリシティ権に基づく削除義務を負うのか。原告は利益の比較を、被告は表現の自由などを主張したが、判決は判断していない。
- 声質が、不正競争防止法2条1項1号・2号の営業表示(商品等表示)に当たるのか。運営者が同法3条の「侵害する者」に当たるのか。判決は、争点1について判断を示していない。
資料
- 要旨(事案・争点・判断)
- 判決(東京地裁 令和8年9月30日、令和7年(ワ)第70635号)裁判所ウェブサイトの掲載ページ
- 判決の全文(PDF)
- ピンク・レディー事件(最高裁第一小法廷 平成24年2月2日判決、平成21年(受)第2056号、民集66巻2号89頁)
- 不正競争防止法(2条1項1号・2号、3条)e-Gov法令検索(2026年10月18日取得)
- 法務省 肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会(取りまとめ報告書、令和8年8月)
提訴の時期は、報道による。
本稿は、裁判所ウェブサイトで公開された裁判例を紹介するものです。裁判所が作成した要旨ではなく、誤りや抜けがありうるため、引用や利用の前に、必ず判決の原本を確認してください。個別の事案についての法律相談・法的助言ではありません。