自分の出願と学会発表が、自分の特許を無効にしかける ― 優先権の「最初の出願」と「同一の主題」(NIMSの中国の無効審判を例に)
特許の優先権についての一般的な説明です。例として、YouTube の動画「【2度負けた裁判:中国企業が突いてきた巧妙な法的ロジック】…物質・材料研究機構知的財産室長の志村環【1on1】」で語られた内容を引いています。例の事実関係は動画での発言の範囲にとどめ、中国の審決・判決の原文、事件番号、特許番号は確認していません。各国の制度は改正されることがあるので、条文と審査基準で確認してください。
先に要点
- 優先権は、同じ発明を外国に出願するとき、最初の出願の日を基準に新規性などを判断してもらえる制度。期間は最初の出願から12か月。
- 基礎にできるのは「最初の出願」だけ。同じ発明を前に出願していれば、後の出願を基礎にした優先権は、その部分では認められない。認めると、実質的に優先期間が延びてしまうから。
- 優先権が外れると、外国の出願は実際の出願日を基準に判断される。それまでにした自分の学会発表や論文が、自分の出願を否定する先行技術になり得る。
- 新規性喪失の例外(いわゆるグレースピリオド)は国ごとに違う。日本は公開から1年以内で自分の公開を広く救えるが、中国は6か月以内で、場面が限られる。
- そのため、複数の出願を続けて出すときは、前の出願と後の出願が「同じ主題」と言われないか、という点が、侵害訴訟への反撃(無効審判)で突かれることがある。
優先権のしくみ
パリ条約の優先権を使うと、たとえば日本に出願した発明を12か月以内に中国へ出願するとき、中国の出願の新規性・進歩性を日本の出願日を基準に判断してもらえます。特許庁の審査基準は、優先権の主張の基礎にできるのは同盟国での「最初の出願」だけで、その理由を、最初の出願に書かれた発明に後の出願を基礎として重ねて優先権を認めると「実質的に優先期間を延長することになるから」と説明しています。
中国の専利法29条も、外国で「初めて」出願した日から12か月以内に、中国で「同一の主題」について出願する場合に優先権を認める、という書き方です(JETRO の日本語訳による)。
落とし穴:前に「同じ発明」の出願があると
ある発明について出願Aを出し、その後、改良を加えた出願Bを出し、出願Bを基礎に優先権を主張して外国出願B'を出した、とします。B'が出願Bの改良部分を中心にしていれば問題はありません。ところが、B'の発明は出願Aと同じ主題だ、とされると、出願Bはその発明の「最初の出願」ではなくなります。そうなると優先権の効果は認められず、B'は実際の出願日で判断されます。
このとき問題になるのが、出願Bを出したあと、外国出願B'までのあいだの公開です。研究機関や大学では、出願を済ませてから学会で発表する、という順番がよく取られます。優先権があれば発表は出願Bより後なので問題になりませんが、優先権が外れると、その発表がB'より前の先行技術になります。自分の発表なので、内容の違いを示すのはきわめて難しくなります。
新規性喪失の例外で救えるかどうかは国によります。日本の特許法30条は、2018年の改正で、公開から1年以内の出願であれば、自分の公開を広く救えるようになっています(手続が必要)。中国の専利法24条は、出願日前6か月以内で、国家の緊急事態での公共の利益のための公開、中国政府が主催または認める国際展示会での展示、「規定の学術会議、又は技術会議」での発表、他人による無断の漏洩、の4つの場合に限っています。学会発表であれば何でも救われるわけではありません。
例:NIMSの白色LED特許と中国の無効審判
動画では、NIMS知的財産室長の志村環さんが、白色LEDに使う赤色の窒化物蛍光体(カルシウム・アルミニウム・シリコン・窒素からなる「CASN」)とデバイスの特許をめぐる経緯を話しています。上の落とし穴が、実際に突かれた例です。
背景
- 2003年に基本特許(蛍光体、製造方法、デバイスの基本構造の概念)を出願。その約1年半後、赤色蛍光体と緑色から黄色の範囲のもう1色の蛍光体を組み合わせたデバイスに特化した特許を出願した。
- 2000年代後半から模倣品が出回り、2011年ごろからパートナー企業が韓国・中国で侵害訴訟を起こした。訴えられた側はほぼ必ず無効審判で反撃する。韓国や中国では、1件が潰されても戦えるよう、分割出願で件数を増やしていた。
- 2018年秋、蛍光体メーカーだけでなくデバイスメーカーにもライセンスし、正規の蛍光体を使う仕組みに切り替えた(ライセンス先は世界で100社以上という)。その半年後、ライセンスを受けていない中国の蛍光体メーカーが、2019年にデバイス特許の無効審判を請求した。
突かれた点
- 出願は3つ。国内特許A(2003年。赤色蛍光体と黄色の「YAGセリウム蛍光体」の組み合わせ)、国内特許B(2004年。デバイス特許の元の出願)、国内特許Bを基礎に優先権を主張した中国特許B(2005年2月15日出願)。
- 請求人は、国内特許Aと中国特許Bは同じ主題だと主張した。そうだとすると国内特許Bは「最初の出願」ではなく、中国特許Bの優先権が外れる。
- 優先権が外れると基準日は2005年2月15日になり、2004年から2005年のあいだのNIMSの研究者の学会発表が先行技術になる。
- この理由は、1回目・2回目の請求では出ず、審決の直前に両方が取り下げられたあとの3回目の請求で初めて出てきた。
経過
- 無効審判の段階で、中国特許Bの請求項の「第1蛍光物質」(色は黄色から緑と書いてあったが、物質は特定していなかった)を「YAG系蛍光体」に限定する補正をした。争点は、YAGセリウム蛍光体とYAG系蛍光体が同じかどうかに絞られた。
- 審決は一部無効(優先権に関わる請求項)。審決の取消しを求めた行政訴訟の一審も、審決を維持した。
- 最高裁は、YAG系蛍光体はYAGセリウム蛍光体の上位概念で、上位概念であれば主題は同一ではない、として同一性を否定した。結果が出るまで1年8か月かかったという。
- 2025年に差し戻しとなり、その後、請求人が無効審判を取り下げ、2026年に有効のまま決着した。その間に特許の存続期間は切れていた。
補正に使えた「YAG系蛍光体」という言葉は、優先権の基礎にした国内特許Bにもともと書いてありました。志村さんは、発明者が黄色だけでなく緑から黄色までの広い範囲を考え、それを書面に落とし込んでいたことが非常に大事だった、と振り返っています。
「同一の主題」かどうか
前の出願と後の出願が同じ発明かどうかは、請求項と明細書に何が書いてあるかで判断されます。上の例では、前の出願にある具体的なもの(YAGセリウム蛍光体)と、後の出願が求めるより広いもの(YAG系蛍光体)の関係が問われ、審判・一審と最高裁とで結論が分かれました。上位概念と下位概念の関係をどう扱うかは、国や手続(新規性、優先権、補正)によって考え方が異なり得るので、例の結論をそのまま一般化することはできません。
一般論として見えること(検討段階)
- 続けて出す出願どうしの関係は、出したときではなく、何年も後、無効審判で初めて問われることがある。後の出願が前の出願と何が違うのかを、後から説明できる形にしておくことが、防御の材料になる。
- 補正で使える言葉は、出願時の書面に書いてあるものに限られる。例では、基礎出願に広い概念の言葉が書いてあったことが、補正の選択肢を残した。
- 出願と発表の順番は、優先権が認められることを前提に組まれていることが多い。その前提が外れたときに、どの発表が先行技術になるかは、国ごとの新規性喪失の例外の範囲とあわせて見ておく必要がある。
- 無効審判では、新規性・進歩性や記載要件だけでなく、優先権のような手続の面も細かく突かれる。動画では、実験ノートや当時の資料の写真の提出、追加の実験など、研究機関として対応したことも語られている。
「特許っていうのは……単に権利が広いだけではダメで、守れなければいけない」(志村環さん。動画の自動字幕をもとに表記を整えた)
- 動画:【2度負けた裁判:中国企業が突いてきた巧妙な法的ロジック】物質・材料研究機構知的財産室長の志村環【1on1】(YouTube)
- 特許庁 特許・実用新案審査基準 第V部第1章 パリ条約による優先権
- 特許庁 発明の新規性喪失の例外規定(猶予期間の1年への延長)
- JETRO 中華人民共和国専利法(2020年改正)日本語訳(PDF)
特許制度の一般的な説明で、例の特許の有効性や特定の会社の行為を評価するものではありません。法律相談・法的助言ではありません。具体的な出願や紛争は専門家にご相談ください。弁護士法人ITJ法律事務所(第一東京弁護士会)